デューク・カハナモク像
こんにちは、ストライブハワイのスタッフです。
今日はデューク・カハナモクについて。
デューク・カハナモクはハワイ出身の水泳選手・サーファーです。
オアフ島に生まれたハワイ先住民族で、3歳の頃にはすでに泳げたと言います。
高校を中退したデュークは、ワイキキビーチで日がな一日過ごすビーチボーイとなり、雑用をこなして収入を得ていました。
あるとき、アマチュアの水泳大会で驚異的な記録を出し注目を浴びたデュークはオリンピック出場権を獲得、さらには金メダルを獲得して名声を獲得していきます。
水泳引退後は、当時世界的にはそんなに知られていなかったサーフィンを各地に伝えるべく活動します。
はるか昔のハワイではサーフィンが盛んで、独特のスタイルで技術を発展させていました。
ハワイでは王族から庶民までが楽しむ、生活に密接に関連するスポーツだったようです。
しかし、キャプテンクックが1793年にハワイを訪れ、西洋の波が押し寄せると、サーフィンは禁止の憂き目にあいます。
当時のハワイ先住民は裸でサーフィンをしていたことも、西洋の宣教師に敬遠される一因だったようです。
(女性のムームーはこのあたりの時代に西洋側の影響で作り出されました。)
結局サーフィンの禁止は上手くいきませんでしたが、サーフィンはハワイの外には広まることなくハワイ内のスポーツに留まっていました。
1900年代初めには、ワイキキビーチを訪れる人でサーフィンをする人はほとんどいなかったと言います。
ローカルの人がサーフィンをするのを眺めていたようです。
この当時のNo.1サーファーがデュークであり、No.1スイマーでもあったのです。
水泳引退後のデュークのサーフィン普及活動によって、彼は「現代サーフィンの父」とも呼ばれています。
2021年の東京オリンピックでは、サーフィンが競技として初登場しますが、元はと言えばデュークのおかげかもしれません。
普及活動の後はハワイに戻り、ホノルルの保安官としてビーチの平和を守ったのです。
いまも、彼の存在がワイキキビーチを訪れる私たちを守ってくれているのかもしれませんね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。